書かなければ、なかったこと

40代後半、広告制作→相談支援業→児童指導員(療育)趣味は水泳と書道。

生きるって大きな流れに流されているだけなのか

 ここでブログを書こうとした6年前に、自分が誰なのかわからないことを書こうとしていたようで笑ってしまった。

 その頃、ちょうど私は長女の発達特性が引き起こす毎日の事象の対応に追われ、母としての責任を一手に担い、忘れ物を届けたり無くした鍵を探したり、クラスで起こした問題にあちこちに謝罪や説明に出向くことに明け暮れていた。そしてその頃はまだ、支援が必要だという考えには至っていなかった。

 長女のADHDの発達特性は、小学校低学年の時には「元気で発言も多くクラスでも友達の多い面白キャラ」と思われていたのが、高学年になり「ただの自分勝手なやつ」に変わりつつあったようだった。とにかく、毎日小さなことから大きなことまでたくさんの問題を起こした。

 その対応に追われる中で、仕事も辞めざるを得なくなり自分は一体何をしているんだろう、自分は母だけど、その前に一人の人間だったんじゃないのだっけ、ととても苦しかった。

 6年が経って、私の二人の娘は高2と小5になった。

 長女のADHD的な特性はやはり、成長とともに環境とうまく馴染むことが難しくなってきたように見える。学校では、自己評価の高さに実際の成績や生活態度の評価が見合わないと感じて、受け止めきれないようだ。家庭では、片付けができず、数ヶ月前のお弁当や水筒、脱ぎっぱなしの洋服、教科書プリント類に埋もれた使用済みの靴下を引っ張り出して履いていくような生活をしている。

 次女はそんな長女を見てか、優先順位を理解しながらもマイペースに学校と家での時間を過ごしている。

 そして私は、母業以外の自分のすることをしなければ、と考えている。